「令和」によせて


ひろく古典ギリシア語・ラテン語で記された文献を扱う学問を、日本では西洋古典学と呼ぶ。では、英語ではこれをどう表記するか。「西洋」は western で「古典」は classic だから、えっと、などと頭をひねってみても徒労である。答えは Classics、つまり端的に「古典学」。近代ヨーロッパにとっては古代ギリシア・ローマこそが第一義的な「古典」なのである。たとえばダンテやシェイクスピアだってれっきとした古典であるには違いないが、しかし Classics ではそれらを扱わない。ひるがえって、日本の高等学校にも「古典」という教科があるけれど、その時間にホメロスやカエサルの話を聞いたという高校生はいないはずである。そこに座を占めるのはいわゆる古文・漢文、『源氏物語』や漢詩であって、鴎外や漱石でさえそこには含まれない。つまりこれは、日本語で生を営む人間にとっての第一義的な「古典」が奈辺にあるかを示す事例となる。

 

「クラシック」という西洋語はラテン語の classis に由来する。これは「学級」という意味でのクラスの語源でもあるが、もとはむしろ「ファースト・クラス」とか「ひとクラス上をいく」といった用法に生きているような、「階級」ないしは「等級」といった語感を帯びる。つまり「一定の価値を認められた集合」こそが classica と呼ばれるわけである。日本語の「古典」にしても、単に「古い典籍」と解いたところで十分な説明にはならない。そこでもやはり、一定の価値づけが問題となる。古びればうち捨てられるものが大多数である中で、これは後代に伝えるに値する、と認定されたものだけが「古典」として生き延びるのだ。その意味では、書物という枠を超えて、あるいはそれほど遠い過去のものでない、たとえば手塚治虫や宮崎駿の作品が古典と呼ばれることに異を唱える人も、おそらくいないのではないか。

 

このことから言えるのは、古典とか classic といった言葉の指す内容は、じつはきわめて相対的かつ流動的なものであり、何を古典とするかは今を生きるわれわれの選択によるということである。古典という語には何か固定的で権威的なニュアンスがつきまとうのでは、という指摘もあろう。が、これは洋の東西を問わず、古語の教師たちがそれをさも「あたりまえ」のものとして扱おうとする姿勢に起因するところが大きい。若い精神を「車輪の下」に抑圧する権威主義者として戯画化される彼らは、学校制度の中で身分を保証されているため、何ゆえ古い書物を読むのか、という問いに正面から向き合わなくとも済んでしまうのだ(むろん、中には愛すべき古文の先生がいらっしゃることも間違いありません、念のため)。だが、いま述べたとおり、何を古典とするかはそのつどの「現代」が判断するのであって、その内実はけっして自明ではない。

 

そしてもう一点、重要なことがある。それは、何を古典に選ぶかで今を生きるわれわれの在り方が規定されるということ。なぜなら、古典を選ぶということは価値の選択にほかならないからである。古代ローマはエジプトやシリアを含む高度な文明圏を勢力下に置いたが、その中からギリシアの文物を「古典」として選択した。ホメロス抜きにウェルギリウスの叙事詩を語ることは不可能であるし、プラトンなくしてキケロの思索はありえない。さらに、近代ヨーロッパはこうしたギリシア・ローマをあらためて選び取り、いわば価値の源泉とした。アテナイなくしてデモクラシーの起源を説くことは不可能であるし、ソクラテス抜きに哲学を語ることは無意味である。これらの総体を「古典古代」と呼び、そこにひとつの価値を見出したのが、つまりは西洋近代だということになろう。その「価値」を一言で要約するわけにはいくまいが、あえて他の文明圏との比較において評するならば、それは「市民社会」という共同体の在り方への強い指向性といえるのではないか。

 

ひるがえって、近世に至るまでの日本もまた多岐にわたる東洋の知的遺産を継承してきた。日本語の言語環境は漢字なくしては文字どおり存立しえない(われわれは made in China にどれだけ多くのものを負っていることか)。あるいは聖徳太子以来、古代インドの知的な粋である仏教文化が尊重されてきたが、中国や朝鮮半島など他の東アジア諸国の成り行きをみれば、これはけっして自明なことではない。漢字表記、あるいは仏教の受容という日本文化の基層をなす諸要件もまた、じつはそのつどの「今」を生きた先人たちの選択の結果としてわれわれに引き継がれたものなのだ。正倉院に納められた宝物の多様な在り方を目にすれば、天平の人々がどれほど広大な世界に思いを馳せていたかを窺い知ることができよう。『源氏物語』が尊ばれる理由も、作者である紫式部の、漢籍や仏典、そして和歌といった先行する文化様式に対する、ひろく深い理解によるところが大きい。

 

新たに「令和」という改元を迎えた日本の元号制度についても、こうした文脈に置いて考えてみる。いまやスマホで銀行決済をする時代、合理性ないしは普遍性といった観点からすれば、改元という煩瑣な手続きを積極的に要請する理屈は見つからない。思想信条の自由という観点からの批判もあろう。それでも、元号を用いることに少なからぬ労力を注ぐというひとつの価値の選択にわれわれが立ち会っている、という事実は、われわれがいかなる社会に生きているのかを問い直してみるよい契機となるに違いない。その際、「令和」の出典が日本のものだといった点をことさらに強調すれば、かえって話が矮小化され、いやいや『万葉集』ではなくすでに中国の『文選』に典拠がある、などと突っ込みが入ることにもなる。多様な出自からなる古典をよく吸収し、そのつどの「今」を生きた人々の精いっぱいの在り方が、また新たな古典として受容されていく。こうした壮大な連鎖の末端にわれわれの「今」は連なっているのであり、元号もまた、そのひとつの現れと受けとめたい。

 

ところで今からおよそ150年ほど前、日本はそれまで永く続いた鎖国を解き、西洋諸国の圧倒的な国力を前に、彼らの文明を積極的に学び取ることを国家の方針とした。福沢諭吉のいう「脱亜入欧」は、その是非はともかく、西洋文化の摂取がひとつの自覚的な選択であることをよく物語っていよう。だが、ようやく列強と肩を並べることになったと思いきや、太平洋戦争の敗戦でそれまでの自信はことごとく否定され、日本人はあらためて西洋の考え方を一から取り入れざるをえない状況となった。この新たな出発がどのくらい「自覚的な選択」と呼べるものだったのか、この点こそが、昭和から平成にかけて精算されることのないままに引き継がれた、あるいは最大の課題といえるのかもしれない。憲法しかり、民主主義しかり、そして大学教育しかり。日本の大学に「西洋古典学」研究室ができたのも、じつに戦後のことである。そこに求められた役割とは、つまりはわれわれが新たに受けいれることになった「価値」とは何か、それを根本から問い直し、吟味することではなかったか。

 

江戸期までに醸成された高度な文化をそれとして大切に継承しつつ、同時に、西洋に由来する民主主義や裁判員制度といった「市民社会」の原理を自分たちの自覚的な選択として定着させる。これは世界史的に見ても稀有にして困難な課題であり、あるいは百年単位の時間を要するだろう。 近年では、英国にせよアメリカ合衆国にせよ、ドイツ、フランスにせよ、近代文明の「本家」であったはずの西洋諸国が、いろいろな面で機能不全に陥っていることは否定すべくもない。そうした時に、もはや彼らから学ぶものはない、などと嘯くのではなく、彼らが価値の源泉としてきた「古典」をわれわれの古典とすることで、その「価値」を自らの内なるものとするよう努めてみてはどうだろう。出自の異なる複数の尺度が併存することで、おそらくは相反する要素が顕在化する場面も出てくるに違いない。その際、何かを糾弾または排斥することで正統性を云々するという安価な求心力に訴えるのではなく、多様な古典を受けいれて熟成を期する姿勢こそが、ひいては豊かな共同体を営むことにつながるものと信じたい。

 

堀尾 耕一