受講生の声

 

このページでは、受講生の様々な<声>をお届けしています。

まだ学舎をご存知ない方には教室の雰囲気を知る手がかりとして、また学友のみなさま

には学習を進めるうえでのヒントとして、 参考にしていただければ幸いです。

2019年度「ラテン語作文」授業風景


2021年度


本物に触れる喜び

 初めてラテン語に触れたのは20歳になったばかりの学生時代、全く関係のないSF小説を通してローマ帝国史に興味を持ったのがきっかけでした。カエサル、タキトゥスに始まり、岩波文庫のローマ、ギリシアの歴史家の作品を読み、ギボンを通読し、やがて原典に触れてみたいと思うようになり、最初に手にした参考書は確か松平先生の「新ラテン文法」、しかし関係代名詞のあたりで撃沈しました。その後大学院での研究も会社での仕事もラテン語とは全く別の世界でしたが、過酷な技術競争の合間、仕事に疲れた折々にラテン語への挑戦が心の癒しとなりました。が、幾度も接続法の壁に阻まれました。

 それが定年も見えてきた数年前、米国への数年に渡る単身赴任の折に一念発起し、Wheelock's Latin を最後まで読み遂げ、ようやく原典講読に取りかかる準備ができました。とはいえ一人だけで原典を読み解くのは難しく、定年退職を機にラテン語講読が学べるところを探していたところ、幸か不幸かコロナ禍のおかげでオンライン授業に参加できる場所として東京古典学舎に出会うことが出来ました。

 最初に参加したのはラテン語講読の基礎講座でしたが、以前からぜひ読んでみたいと思っていたキケロの講読が始まると聞いてそちらに飛びつきました。これがなかなか難解で、途中背伸びしすぎたかと後悔もしましたが、堀尾先生や他の参加者の熱意が励みとなり、何とか継続できています。まさにローマは1日にして成らず、数十年かけてようやく壁を乗り越え、本物のラテン語に触れる喜びを噛みしめています。

 古典語を学ぶことは、単に外国語を学習するのではなく古代の作者と対話することだ、とどなたかがおっしゃっていましたが、なるほどと思います。単語の意味や文法が理解できても、原文の解釈は簡単ではありません。あなたが言いたいのは何なのか、こういうことか、と問い続けながら講読しています。地理的、時間的、そして文化的にも遥かに離れた古代人との対話の中で共感することを発見できれば、それこそが人間の真理だと言えないでしょうか。生きているうちに真理を見出すため、いずれギリシア語、そしてプラトンにも挑戦したいと考えています。(H. T.)

 

ラテン語学習の思い出

 20年と少し前のことである。当時20代前半だった私は、アテネフランセのラテン語講読クラスに通い始めた。文学部のラテン語文法授業にもぐって非公式に一通り学び終えたばかりの身には、いささか背伸びをした格好だった。

 初日に教室を見渡すと明らかに私は最年少で、周りは定年退職後と思われる方々がほとんど。とりわけ御歳80を超えると思しき大ベテラン受講生の訳は流麗かつ高尚で、ラテン語を勉強しているのか日本語を勉強しているのか分からなくなるほどであった。何とも場違いな気持ちのまま、その頃は古の戦にも政にも興味を持てなくなっていたからかもしれない、結局ほどなくして脱落してしまった。とはいえ、人生の先輩方の生き生きと学ぶ姿に触れられたのは大変よき思い出である。

 時は経ち中年となった今、私は年若い方と年長の方と両方に囲まれて、パソコン画面越しにへぇとかほぉとか呟いたり、くすっと笑ったり、涙が溢れそうになったりしながら『変身物語』を楽しんでいる。オウィディウスの言葉遣いに心惹かれるのだろう。そんな読者の表情がころころ変わるのを見て、きっと彼もまた楽しんでいることと思う。(M. K.)

 

ラテン語とギリシア語を同時に学んで

 ラテン語を学び始めて、いつもギリシア語への憧れはありました。ひょんなことから同時並行に学んでみると、その二つの言葉の親和性に驚きました(どちらも印欧語で根っこが同じだから当然なのかもしれませんが)。同時に学習すると混同するのではとの危惧は、意外にも当たりませんでした。むしろ相乗効果のほうが大きいと言えるかもしれません。

 もちろん、ラテン語に加えてギリシア語に飛び込む時にはそれなりに手間がかかりました。ギリシア文字の習得は最初の関門でした。中動態、アオリストなどのラテン語より多い変化に関しては、全部覚えようとせず、変化表を引ける程度に覚えるというラテン語学習の経験が役立ちました。文法的に語順自由、屈折語で単語の変化は変幻自在。このハードルを乗り越えるには、ラテン語で学んだ分析方法(定動詞見つけて品詞の性・数・格を特定)が全く同じようにギリシア語に適用できました。

 さらに最近気がついたのは、その親和性は、巨視的に見れば同じ時代、同じ文化層に属するコトバだからではないかということです。21世紀の人間からすると、古代の書物の難しさは、文法的読解の困難さ以上に古代人の頭の中にあることを想像する難しさだと感じます。堀尾先生は時折、二千年以上も前の人間を理解することの困難さについて語ります。全くその通りだと実感しています。その懸隔を感じられることが古典語学習の楽しみでもあり、ギリシアとローマの差など、我々からの隔たりに較べれば誤差の範囲だと思えてきます。

 リウィウスの晦渋さも、クセノフォンの超人的退却行も、どこまで理解出来るかはさておき、21世紀の自分に引きつけ過ぎないように気をつけながら、二千年以上前の彼らの頭の中を想像するとワクワクしてきます。初級文法という道具をなんとか手にした今、いよいよ原典講読の海に乗り出そうと思っています。(A. M.)

 

Je n'aime pas Ulysse !

   Ça fait deux ans que j'étudie Odyssée en classe. Je suis très ravie de lire Homère en texte original. À vrai dire, je voulais lire Iliade, surtout le chant 6 dans lequel Hector et Andromaque se séparent tragiquement. Mais au fur et à mesure je suis charmée du monde d’Odyssée avec le style homérique très différent de celui de l'époque classique.

   Par exemple, il y a beaucoup d'épithètes qui puissent correspondre à la littérature ancienne japonaise. En plus l'hexamètre est amusant et joyeux une fois qu'on a retenu les règles. Ce qui est difficile, c'est de trouver la déclinaison et la conjugaison très particulières, mais nous avons beaucoup d'outils pratiques comme des lexiques homériques.

   Cependant, j'avoue que je n’arrive jamais à aimer Ulysse, héros de ce poème. Tout d'abord, il est menteur. Il ne dit pas la vérité au porcher divin qui l’a sauvé de la misère. Il trompe même son épouse Pénélope qui l'attendait pendant vingt ans depuis la guerre de Troie. Et à la fin, il se venge des prétendants de manière atroce. Pourtant, à qui la faute ? Il est normal que les gens s'intéressent à la belle demie-veuve du seigneur absent, bien que leur attitude soit abominable.

   Je comprends très bien que toutes ses ruses proviennent de sa sagesse extraordinaire et des conseils d 'Athénée. Mais je n'aime pas le menteur. Je lui préfère plutôt Achille violent et de mille fois lui préfère Hector humain et sincère. 

   Alors pourquoi puis-je continuer à le lire avec beaucoup de passion ? C'est parce que la narration homérique est tellement bien construite que le lecteur peut l’apprécier comme la littérature moderne, surtout au point de vue de l'auto-critique. Par exemple, le porcher Eumée critique la guerre et les soldats d’un ton aigu, vis-à-vis d'Ulysee métamorphosé en mendiant.

   Je ne sais pas si Homère est une seule personne ou non, c'est-à-dire que le même Homère ait crée et Iliade et Odyssée . Mais quand on lit Odyssée, on rencontre beaucoup de référence à Iliade et on réalise bien que c'est un ouvrage d'après-guerre dans tous les sens.

   En un mot, j'adore Odyssée malgré le héros que je n'aime pas !

(Jeanne Sion Mizuhara)

 

 

自分らしさを求めて

 私は還暦の歳から、中山恒夫著『標準ラテン文法』をテキストとする堀尾先生の「ラテン語入門」に参加するようになり、足かけ5年、延べ5回ほど、この「入門」講座を繰り返し受講させていただき今日に至ります。記憶力はあてにならずとも、不思議に根気だけは続いています。そのおかげか、最近ではキケロやカエサル、ウェルギリウスやオウィディウスといった原典講読のクラスに出て、自分でも「分かる」と実感する瞬間をときおり味わうことができるようになりました。これは私にとって何よりの僥倖です。今、66歳になってフルタイムの仕事を続けながらも、東京古典学舎での学びが最上の娯楽のひとつになっています。思えば、ラテン語とは若い頃から細い糸で結ばれていたのかもしれません。

 私がいちばん自分らしかった頃、それは20代前半の学生を終える時でしたが、答辞で veni, vidi, vici ! と口走っておりました。文芸三昧で詩人気取りの学生生活を謳歌していたものの、その後は医療の仕事に打ち込むワーカホリックとなりました。

 2年間の米国留学のおり、向こうのボスに hoc opus, hic labor est と言われました。「これからが大仕事になるよ」といった状況下で発せられた言葉でした。後でラテン語の格言であり『アエネイス』第6巻129行に由来することを知りましたが、英語でのスピーチの間にちょこっとラテン語をしのばせるのが「教養ある」人間のしゃべり方なんだとか。ちなみにそのボスは医者で生理学者でキリスト教の聖職者でもありました。

 仕事漬けは進行し45歳で一度 burn out して3ヶ月休職。その間、自分の人生を振り返る機会を得て、学生時代を思い返しながら久々の読書三昧の日々を送りました。そこで出会ったのがこれまたラテン語で、homo sum すなわち「私は人間である」。「ヒト」から「人間」にならなくては、と思いました。

 その後も、個人史的には色々ありました。還暦を迎え、鏡に向かうと、そこに映っているのは何とも自分らしくない私の姿でした。自分らしさを取り戻そうと思って、何かやり始めることにし、気がついたら堀尾先生の古典語講座の虜になっていました。ここから冒頭の、同じ「ラテン語入門」に5回も参加したという嘘のような本当の話に戻っていきます。

 「急がば回れ」で、この先もぼちぼちやっていこうと思います。 『羅和辞典』の扉に festina lente とありましたね。また数年前、私がエラスムスのファンであると知って、先生が「つばめグリル」の箸袋に書いてくださった concedo nulli という言葉も、ときどき口にする今日この頃です。このコロナ禍での2年間は、オンラインで自宅や出先から授業に参加できているのがとても有り難いです。

(S. Y. 医療従事者)


2020年度


ラテン語を学び始めて

 翻訳でラブレーやモンテーニュ読んでいるとラテン語の格言がよく引用されます。せめて引用が少しわかればとの気軽な気持ちで受講しはじめました。が、すっかり今ではラテン語にはまって楽しんでいます。学び始めて9ヶ月、ラテン語の大きな森へ踏み込む小道が何本かうっすら見えて来たとの感想です。広大な森ですが、アマゾンの道なき密林と異なり、ラテン語の森は、どうやら道が論理的に区画整理されていて碁盤の目のようになって潜んでいると感じるこの頃です。

 外国語といえば英語という環境で育った者にとって、活用曲用の膨大さに初めは圧倒されました。が、ほんの少しづつ、活用の多彩さも交通の円滑さの為の交通標識だと思えるようになって来ました。

 先生は授業の折に触れ以下の事を繰り返します。「まず定動詞を見つけて、次に品詞を特定し性数格を分析する」。「膨大な変化表を覚えようとせずに、活用曲用表を道に迷った時の地図の如く使えるようになれば良い」。この教えを杖としてラテン語を読む、というより「分析」していくと謎の文字たちから意味が立ちあがって来ます。その時の快感は何とも言えない喜びです。教科書、語彙帳、活用表を手に持ってのラテン語「分析」探検です。

 見学に行った時、先生から「意外に理科系の人がラテン語に向いていることがあるんです。因数分解を解くように」との言葉が思い出され、納得するこの頃です。しかもその練習問題の意味が初級語学書にありがちな陳腐なものばかりではなく、2000年前のローマ人の知恵に感心したり、時には古代ローマ人との感性の違いに笑ったりします。こういう楽しみを教えていただいた東京古典学舎に感謝します。

 蛇足ですが、英語を読んでいて全部知っている単語なのに意味が分からないと言うお手上げ状態がよくありますが、ラテン語ならばさぁ「分析」するぞと意欲が湧きます。手掛かりがある言葉なんだなぁと実感しています。(A. M.)

 

ギリシア語を学んで

 退職後にラテン語の学習をを始めて6年、去年4月から横浜古典学舎でギリシア語入門を受講しています。初心者の感想は「やっぱりギリシア語は難しい」に尽きます。約音も厄介だし、時制も慣れ親しんだ過去・現在・未来とはだいぶ様相が違う。単語も文法も覚える端から忘れて行く年寄りとしてはなかなかつらいことばかりです。

 でも、勿論、良いこともあります。どうしても意味の取れなかった単語が教科書を何度もひっくり返しているうちに「あ、この名詞の格変化はこれだったのか」「この動詞の時制・人称はこうだったのか」とわかったとき。子供のころの算数の応用問題が解けた時の嬉しさと同じですが、この年齢になってそんな喜びを味わえるのはそれなりの楽しみです。

 そしてもうひとつ、私にとっての古典語学習の良いところは読む本の幅が広がるという点です。わからないところだらけですので学習のモチベーション維持はそれなりに大変。そこで今までだったら絶対に手を出さなかったような本を読むようになりました。たとえば『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』、『第四の大陸』、『書き換えられた聖書』などなど。内容の紹介は省きますが「古

典」を求める人々の熱気が伝わってくる本です。世界史の教科書で読んだ「ルネサンス」「文芸復興」などの言葉が初めて立体感を以って立ち上ってくる感じがしました。

 『イリアス』の冒頭10行ほどでも暗唱できるようにというのを目標にボチボチと…。(K. M.)

 

 

古典の魅力

 平日は仕事の傍ら、週末はオンラインで古典ギリシア語を講読しています。学生時代の専攻も、現在の仕事も、古典と接点はありません。きっかけは、トゥキュディデス『歴史』を読み、その内容に心を奪われ、これを記録した言語を知りたいという好奇心からでした。

 いざ古典ギリシア語の学習を始めると、文法だけでなく、歴史・文化・注釈・文献など、あらゆる道具を駆使して、作者の思想に近づく「解読」の面白さに夢中になりました。

 しかし、ギリシア語は難しく、なかなか原典を読み進められません。それでも、原典に挑戦してしまう一番の魅力は「古典の継承」です。古典学舎で学ぶことで「古典を後世に残す」という古代より受け継がれた崇高な仕事に、何らかの形でお手伝いしていると(自分勝手に)実感することができます。

 こうした思いで学習をしていますが、「山の麓に近づくにつれ、山がより高く見える」日々です。目標までの道のりは、あまりに遠いです。でも、古典学舎には、この道のりを先導していただける先生と、一緒に歩む仲間がいます。(H. N.)

 

ラテン語と歩んで四半世紀

 私がラテン語に出会ったのは25年ほど前、大学でローマ法を受講したことに遡ります。イタリア半島の一都市国家に過ぎなかったローマが、なぜ、どのようにして大領土国家になっていったのか、そしてそのことがどのように法の発展に結びついていったのか。教授の講義に大変感銘を受け、大学院にまで進んでしまい、そこで初めて、本格的にラテン語を学び始めました。世界史の教科書で『ローマ法大全』と称される、ほぼ誰も読んだことのないような文章を読む必要があったためです。教授には「辞書引き一年だからね」と言われ、まさにその通り最初の一年は、一時間で1行か2行しか読めず、分厚い辞書をばったんばったんしながら格闘していました。この学問には大学院で区切りを付けることになりましたが、その後は教会音楽を通して、ラテン語はずっと私の人生の傍にあり続けています。

 そんな私は現在、オウィディウス『変身物語』を受講しています。須賀敦子さんのエッセイを通してオウィディウスを知り、いつかは読んでみたいと長年心に温め続けていました。それが昨年、たまたまインターネットで見つけたラテン語講座がきっかけとなって堀尾先生と出会い、この学舎で学んでいます。オウィディウスのラテン語は生き生きとしていて、どこかコミカルでユーモアたっぷり、それでいて大変美しい文章です。これからも皆さんと一緒に楽しみたいと思っています。(M. K.)

 

コロナ禍での最高の楽しみ

 2020年7月から「ギリシア語入門」の講座を受講しています。当初のギリシア語学習の動機は、ギリシア語で新約聖書を読みたいということでした。というのも日本語で新約聖書を読んでいると違和感を感じる表現が結構あって、是非原文を読んでみたいと思っていたからです。幸い半年の受講の効果で、辞書を引きながら新訳聖書を少しづつでも読めるようになったのは大収穫でした。ただ、ギリシア語の言葉の背景や意味を理解するのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 一方で、最近「12世紀ルネサンス」という言葉に興味を持ち、ギリシア時代の哲学や自然学の多くがビザンツ、アラブを経て12世紀に西欧でラテン語に翻訳されたことを知りました。私自身は定年退職をした自然科学系研究者なので、西欧における自然科学の発展の歴史に大変興味があります。そのため是非アリストテレスの『自然学』を将来原語で読んでみたいと思っています。

 実はラテン語も4年間ほど勉強して、今ではウェルギリウスの『アエネイス』を仲間との読書会で読んでいますが、私にはギリシア語の方が余程好きになりました。確かに動詞の変化は複雑ですが、冠詞や前置詞があって何となく馴染みが良い感じがします。

 加えて、堀尾先生の授業は、単に文法や和訳・作文の説明のみではなく、言葉の背後の意味、成立の経緯や使用の状況、関連する哲学のことも色々教えて頂けるので大変楽しく意義深く感じています。そのため今は是非末長くギリシア語を勉強していこうと思っています。

 新型コロナウイルスの蔓延で外出を極力控えている中で、オンラインで授業を受講出来たことは大変有り難いことでした。昨年を振り返ってみるとコロナ禍の中で時間があっという間に過ぎた中で、ギリシア語学習という貴重な時間と経験が持てたとことは最高の楽しみでした。引き続きよろしくお願いいたします。

(N. K. 定年退職した理系研究者)


2019年度


古典語学習の楽しみ

 平日は西洋古典とほとんど縁のない仕事をしており、古典の読み方をきちんと学ぶ機会が欲しいと思っていたところ、東京古典学舎を知りました。大学に通わなくても休日に古典語を学べる環境があり、西洋古典を研究されてきた方から丁寧に教えて頂けるのは、とてもありがたいことだと感じています。

 教室に通い始めてから、入門書の例文やプラトンの文章を、少しだけでも読めるようになったとき(俺は読めるぞ!と思ったとき)は嬉しかったです。ギリシア語で好きな作品を読めるようになりたいと思って通い始めましたが、今では古典語学習や教室に通うこと自体も楽しいと思うようになりました。(N. M. 公務員)

 

ラテン語を学び始めて

 ロマンス語をいくつか学んだことから、かねてからラテン語を学んでみたいと思っていました。古典語専門の塾ということにも興味を引かれて、教室に通い始めました。

 ラテン語を学び始めてみて、自分で実際に読んだり書いたりしなければ語学は身につかないので必要なことではありますが、練習問題を解くには結構時間がかかるなと感じています。しかしながら、パズル的な面白さがあり集中できるので、ラテン語学習がストレス発散になっている気もします。

 教室の授業については、教科書に列挙された多くの項目を緩急つけて教えてくださり、疑問点にも快く答えてくださるおかげで、なんとか学習を続けられていると思います。近代語とのつながりについての指摘や、語学だけでなく歴史や文化についてのお話を面白く聞いています。また、教室に来られないときのskypeによる参加や、お休みしたときもついていけるよう対応してくださるのがありがたいです。(M. O. 大学生)

 

古典語学習のモチベーション

 退職後にラテン語・ギリシャ語を学び始めた動機は、ぜひ読めるようになりたいという、ごく単純なものでした。それから10年以上になりますが、新たなものを学んでいくよろこびに浸れたのは、最初の3~4年くらいだったでしょうか。それが薄れていくにつれて、心の中で別のモチベーションを求めるようになりました。

 語学の学習にとって記憶力の減退は大問題で、同じ単語を何度も辞書で引くことになります。ただ、そうしているうちに、我々がお世話になっているテキストも辞書も、先人の膨大な努力の産物であること、そしてそのおかげで我々が学べていることに、思いを致さざるを得ませんでした。先人への感謝の気持ちが芽生えるとともに、西洋古典語を征服しようなどという大それた思いも消えていきました。今は、古代・中世・近代の歴史のなかで受け継がれてきた延長上で我々は学んでいるんだという自覚を、たえず呼び覚ましていけたらと思っています。

 とはいえ、予習の中で難解な文章にぶつかって立ち往生し、イライラすることもしょっちゅうです。そんなときは、わからなくて当たり前、と割り切ることにしています。それでも、こんな学習はもうやめてしまいたい、と思わないのはなぜか? 私にとってその答えは、おそらく対象の西洋古典語じたいの中にあって、その魅力が学びを誘っていると思うのです。(H. K. 元編集者)

 

 ラテン語読解はジグゾーパズル

 ラテン語への憧れは、コンピュータ系技術用語(英語)とロマンス語(仏伊西)から。退職前年に折りよく受講生の紹介で(感謝!)東京古典学舎を見学。翌年「ガリア戦記」に。2年目以降はキケロ講読やラテン語作文を受講中。

 ラテン語を読むには、構文の要素(主語、動作/述語、補語、修飾語)を認識し構文木を組み立てる作業(パージング)が必要で、これは語順に依らない語と語、要素と要素の文法ジグゾーパズルです。古典の文章は長くて構造は複雑なので、独学困難な技が求められます。

 講読クラスはゼミ形式。予習は各自で(修練の時間)、輪講と内容の議論(政治経済社会歴史哲学文学天文農学 etc. )。講師は大学院生や社会人まで教育経験豊富で、説明が明快。受講生が輪講中に詰まっても気付かせる感じで指導してくれます。

 ラテン語著作の元ネタがギリシア人のアイデアならばと、古典ギリシア語にも挑戦。難解な文法(アオリストに中動態に希求法にμι動詞)に複雑な語形音韻変化(重音畳音約音黙音流音)。挫折必至と思いきや、ギリシア学溢れ出る塾頭ならではの解説と丁寧な作文添削に牽引されています。講読のご指導にも期待しています。

(N.S. 元ソフトウェア開発技術者)

 

授業に参加しての感想

 現在、土曜日の「ラテン語入門」講座を受講しています。今年の4月から約8か月受講し続けてみての感想としては、2つあります。

 1つは「ラテン語のとてもよい地図をもらっている」ということです。この「ラテン語入門」を受講してみて、初めてラテン語文法の全体像が見えてきた感じがします。何か簡明な「地図」をもらいつつあるように思います。各項目をどれだけ把握しているかということに関しては、恥ずかしながらまだまだです。それでも、何がどこにあり、難所がどこなのかというような全体としての状況が見えつつあるだけでも、それまでのラテン語への気持ちとは異なってきています。

 2つ目は「何かを学ぶ際には、良い教科書(参考書)を用いて、その教科書の正しい読み方を知っている良い先生に、教科書の読み方も含めて教わることが大切である」ということです。語学に限らず何事かを学ぶ方法に絶対の真理はないかもしれません。しかし、上述の内容はそれほど外れた内容ではないと思います。講座で使用している『標準ラテン文法』は、巷間良いテキストであると評判ですが、一方で「あまりにまとまりすぎていて難しい」「独習には向かない」等とも言われています。その点、講師はこのテキストの内容、読み方をよく熟知されていて、懇切丁寧にご指導してくださいます。おかげで、このテキストの内容の豊富さを実感しました。同時に上述の感想を深めた次第です。

 改めて、この授業との出会いには、感謝に堪えません。

(T. K. 会社員)


2018年度 ラテン語講読:カエサル『ガリア戦記』教室より


以下の5つの文章は、このクラスに在籍中の5名の生徒さんたちの文章です。このクラスはこの4月には8名の方がいらっしゃいましたが、勤め先が変わって忙しくなったり、一緒に始めたギリシア語初級の負担が大きくて、といった理由で3人の方が、長期またはそれよりは短い予定で「休養」となっての人数です。

 

数が減ると、教室で当たる回数が増えて、緊張が増す、とか、数が少ないと、教室の運営に支障がでるのではという心配があるとか(実際は、このクラスがあるせいで、運営が危機的状況になっているという事実はないと思うのですが)、せっかく読み始めた作品だから、せめてカエサルが書いた部分(『ガリア戦記』第1〜7巻)は読み通したいという「野望」を実現したい、とかという理由でなんとか、ひとりまたは二人の仲間を獲得したいということで、自発的に始まった動きの成果です。教室を運営する責任を分担している立場の人間としては、このありがたい申し出をお断りする理由はありませんから、ここにクラス担当講師の署名入りでホームページに載せます。

 

現在テクストは、『ガリア戦記』第2巻の終盤に差し掛かっています。教室では、毎週読む部分に関して、ホームページのラテン語中級クラスに掲載の注釈書とテクスト(注釈書に付いています)、それに、中山恒夫『標準ラテン文法』への参照の促しを中心とする講師手製の注釈書を毎週メイルであらかじめお送りして、それをも参照しながら読解を進めています。広大な古典ラテン語の世界への入り口としては、最もおすすめできるもののひとつだと、講師は考えています。なお、2019年度も『ガリア戦記』の講読は継続の予定です。 

安西 眞


ビジネスにも使えるガリア戦記

 都内の一企業に勤務しているサラリーマンです。日曜日のこのクラスのため平日少しずつ通勤電車の中で復習・予習をしてクラスに臨んでいます。教室では先生も生徒の質問に丁寧に理解するまで教えてくださり、クラスの進行スピードも比較的ゆっくりで助かっています。小さい教室ならではの特典かと思います。

 「ガリア戦記」ですが、大昔に日本語訳を読んではいましたが、やはり原文で読むとカエサルの淡々としたシンプルで無駄の無い文章にとても感動します。まさにその無駄の無い文章そのままに、カエサルがガリアという地で彼の壮大な目的を達成するために「最短距離」を詰めていく姿は、現代のビジネスに通用するものもあるのではないかと思います。ラテン語も学習しながら現代ビジネスにも通じるカエサルや登場人物たちの戦略・戦術も学習できますので、サラリーマンの方にもお勧めです。(K.I. 会社員)

 

広い視野でラテン語を学ぶ

 大学の講義でラテン語の授業を受けた時、なんと複雑で難しい言語なんだと思いました。そして、この言語の美しさや構文の面白さに気が付く前に、授業についていくだけで精一杯というようなこともありました。東京古典学舎では難しい構文が出てくるたび、皆さんの疑問が解けるまで先生が補足をしてくれます。

 ラテン語は、骨子となる文法構造の複雑さもさることながら、簡略化や新造語などによってそのスタイルが時代ごとに変化したという点が我々をしばし悩ませます。「この単語はもともとどういう単語から派生したものなのか?」「なぜカエサルはこれほどまでに絶対的奪格を多用するのか?」といったことがしばしば気になってしまうことも……

 このような言語学的な疑問点に関しても、先生が解説をしてくれます。またSkypeでの参加もOKなので、私自身、現在在住しているフランスから、早朝に通話で参加させていただいています。

(J.K. フランス某北部の大学、修士課程在学中)

 

交錯するガリアの名もなき人たち

 バカボンのパパは漢字が読めない。よってビビアン・リー主演映画のポスターを眺めて「と、に、りぬ」からストーリーを想像する。

 東京古典学舎にたどり着いたときの私のラテン語レベルである。

 それから数年、カエサルクラスの末席に。英雄はさておき、自らを投影できそうな名もなき人たちの描写を、パズルよろしくこね繰り回して古の戦地の隅っこを想像する。兵の逃亡を防ぐため台車の上から叫ぶ女、駿馬のたてがみにしがみつく歩兵、降伏哀願すべく町から押し出されるご老体。一行に満たない文、いや文節ひとつに苦戦する。「嵐に友と〇りぬ」程度になったレベルでカエサルを読もうというのだから、笑える誤読は山ほどある。そんな誤読を一緒に笑ってくれる安西先生の漫談講義は毎回楽しい。

 疑問にはとことん応えてくださいますので、初級と講読の間を埋めたいとお考えなら是非ご一緒に。(M.K.)

 

亀のように学んで

 ラテン語という言語を知ったのは、少年少女世界文学全集からでした。ラテン語の授業を生徒が敬遠したり、羊皮紙に記された古文書を聖職者が読み解く場面で、今は使われていないという古代の言葉に興味を持ちました。その後も、語源の本を読んだり、宗教曲を聴いてラテン語にふれる度に、いつか習いたいと考えてきました。

 数年前に府中に古典語の塾があることを知り、思い切って始めました。教えてくださる先生は、昔読んだ鞭を持った教師像とは大きく異なりました。1年で基礎文法を終えるのは速すぎると感じましたが、2年目3年目のガリア戦記講読においても、幾度となく文法の解説があるので復習となっています。

 使用している注釈書は英語版で、英語も苦手な私は、羅和辞典の他に英語の電子辞書も引きながらの作業となります。手間取るものの、英単語も覚えられるから良いようです。入り組んだ文を訳すのは時間を要しますが、暗号やパズルを解くような楽しさがあります。また、本文の筋とさほど関係ない事柄でも疑問が湧くと、塩野七生さんの著作や古代ローマについての本を開いたり、インターネットに繋げて調べていますが、そこでよく面白い発見をします。

 寄り道が多いせいか私の学習はなかなか捗りません。一緒に講読している仲間に迷惑かなと心苦しい時もあります。しかし、互いの学び方を尊重する気風がクラスにあり、続けられています。

(C.M. 事務職)

 

用意周到なカエサル

 私が最初にラテン語を勉強しようと思ったのは、大学2年生の頃でした。ラテン語を選択科目として登録して、授業には出席していたのですが、勉強時間が取れず、試験は受けていません。それからだいぶたち、数年前に国際会議でアテネに行く機会がありました。遺跡を見物するうちに、昔のことに興味が出てきて、ラテン語をもう1度勉強しようと思ったのです。

 文法が終わり、カエサルの『ガリア戦記』を読み始めました。「接続法」や「間接話法」など、文法で学んだ事項が、カエサルの文章を使って、しっかり復習できます。また、『ガリア戦記』の内容が面白いです。『戦記』といっても、戦う場面ばかりではありません。地形の分析、ガリアの部族の様子、部族との交渉や会議、食料の調達についても書いています。戦いには、このような下準備が大事だということがよくわかりました。安西先生の楽しい解説もあります。文法と内容の両面から探求する面白さを味わうことができます。

 私たちのクラスの特徴の1つは、受講生同士で助け合っていることです。誰かがクラスを休んだときは、先生の許可をいただいて、他の人が録音しています。出張などでクラスを欠席しても、後から音声を聞いて勉強できて大丈夫。ちなみに、時々、飲み会も企画されます。すばらしい先生と仲間に恵まれたクラス! 途中から参加される方も大歓迎です。(M.T. 大学教員)