われわれは古代ギリシアから何を学ぶのか?


ケネス・ドーバー先生のメッセージ 

現代の日本に暮らすわれわれが古代のギリシア語を学ぶ。はたしてそこに、何の意味があるのか。漠然と古代への憧れを抱きつつも、いざ膨大な時間と労力とを求められる古典語学習の入り口に立って、こうした疑問が生じるのはむしろ当然のことだろう。ここに紹介するのは、20世紀後半の西洋古典学を代表する碩学、ケネス・ドーバー(Sir Kenneth Dover)先生が1982年に来日された際、新聞社の求めに応じて行われたインタビューの記録である。スコットランドのセント・アンドリューズ大学で教鞭をとられた後、オクスフォード大学教授として学界を牽引し、英国学士院院長、英国古典学会会長を歴任された、誰もが認める第一人者。アリストファネスの『雲』、プラトンの『饗宴』、そしてトゥキュディデス『歴史』のコメンタリーのほか、『古代ギリシアの同性愛』といった興味深い著書もある。そうした大学者が日本の一般読者に向けてギリシア学の意義を分かりやすく語りかける記事は、いまなおわれわれに多くのことを気づかせてくれるに違いない。なお、この来日にあわせて刊行された邦訳『わたしたちのギリシャ人』(久保正彰訳、青土社)もまた、やはり広い読者層を対象とした分かりやすい語り口ながら、示唆に富む内容となっている。2010年3月、89歳で他界なさった。

 


現代に脈打つギリシャの心

 

聞き手:

 古代ギリシャ世界は、私たち20世紀に生きる現代人にとってどんな意味をもつのだろうか。

ドーバー:

 紀元前3世紀の詩人テオクリトスの『牧歌』という詩の一節にこんな箇所がある。——二人の女がある町の祭りに出かけて行く。歩きながら夫の悪口を言い合う。「ウチの亭主ったら、買い物を頼んでも忘れてくるし、頼んだものと違うのを高い金払って買わされてくるの。本当にしょうがないんだから」。そこへ男が一人登場、女たちの話を耳にはさみ「黙れ、やかましい女ども」と怒鳴る。二人の女は誇り高きドーリス人。男に向かい「私たちはシュラクーサ(シチリア島のドーリス人たちのポリス)から来たんだけど、あんたどこから来たの?」と聞く。 この「どこから来たの?」という質問には場所だけでなく氏素性を問う気持ちも含まれており、当時から相手を差別しようとする気持ちの出発点だった。

 こうした気持ちの表れ方やレトリックは、現代社会となんと似ていることか。普通の人間のファンダメンタルな心の動きを知るうえで、古代ギリシャの詩の一片の方が、今日ロンドン(東京でもいい)で封切られる映画よりよほど分かりやすい、ということはよくある。

 個人の場合でも、20歳代の経験が5、60歳になってからの経験より意味深いことはあるだろう。同様に人類の集団としての体験も、きのう今日のものより、もっと(文化全体が)若かったころの方が深い意味をもつということはあり得る。

聞き手:

 西欧人にとっての古代ギリシャと日本をはじめ非西欧的伝統を持つ社会にとっての古代ギリシャとでは、意味あいが異なることはないか。

ドーバー:

 われわれ英国人だって古代ギリシャの直系の子孫ではない。ギリシャを受け継いだローマ帝国が東西に分かれた後、6世紀になると西欧はギリシャを忘れ去った。近代になって西欧は、ギリシャを自分たちの親として「選択」したのだ。この親子の縁組みは自然の流れなどというものでなく、選んだ西欧にとっても長い時間をかけねばならない行為だった。プラトンが、かなり正確に英語に完訳されたのは、いまから百年ちょっと前のことにすぎない。

 別の面から見れば、古代ギリシャは西欧より日本に似ているともいえる。たとえば宗教的伝統。西欧では長い間正統、教義、信仰といったものが威圧的にかっ歩し、聖書の記述を否定すれば火あぶりになった。古代ギリシャでも日本でもそうしたことはないだろう。

 大切なのは、人類がさまざまな場所でこれまで体験したことのうち、どれが自分たちにとって有用かの選択である。「歴史」とは与えられるのでなく、選ぶことだ。



聞き手:

 日本人もギリシャ人を「親」として選べるということか?

ドーバー:

 その通りだ。それをするかしないかはあなた方日本人の問題だ。親を選ぶことはお手本を選ぶことではない。うまくいかなかった点をさがし、その理由を探るのも歴史の研究だ。そこで何を取り入れ何を拒否すべきかが見えてくる。たとえばギリシャ彫刻や絵画が紀元前4世紀に入ると、それまでの生き生きした実験的試みを捨て、急に懐古趣味的復古調に走り始める。その結果、ギリシャ人にとって未知のものをたくさん残しながらギリシャ美術は衰退してしまった。(文学などと比べ)美術だけが早熟すぎたためだろうか。とにかくその理由をきわめれば、他山の石としてすべての文明圏の人々にとって得るところがあるのではないかと思う。

聞き手:

 核時代に生きる現代人は、本当に古代ギリシャ人から学び得るものがあるのだろうか。

ドーバー:

 古代ギリシャの諸都市だって、いつ戦争で全滅するかわからない不安の中にあったのだし、疫病、人口過剰、資源問題など彼らなりの「社会問題」はいっぱいかかえていた。現代人との違いは単にスケール(量)の大小の問題といえる。それ以外の、人間が生きていくうえでの問題の質の点でどれだけ差があるといえるだろうか。

 個人的な体験を語ると、1942年、私は士官として北アフリカに従軍していた。ドイツ軍にさんざんやられ退却に次ぐ退却。士気を失った部下は命令に従わなくなってしまった。そのとき私の頭に浮かんだのはローマ時代のウェルギリウスの詩『アエネーイス』の中でローマ建国の英雄アエネアスが仲間たちに語りかけた「われわれにはもっと苦しい日々があったじゃないか。いまの苦労だってそのうち思い出になる日がきっと来る」というセリフだった。私はラテン語を知らない部下たちに、英語で同じことを言った。兵士たちの反応は、アエネアスのセリフを聞いた後の仲間たちの反応と全く同じだった。古代人も現代人も心の動きは基本的に同じだというひとつの証明だと思うのだが・・・。

『朝日新聞』1982年4月30日 

 


ドーバー先生の思い出


2007年夏、わたしたちはグラスゴーで借りた銀色のフランス車を駆って、スコットランドの小さな大学町、セント・アンドリューズを目指した。ドーバー先生のご自宅を表敬訪問するためである。そのお住まいは、先生の愛弟子であり京都でも教鞭をとられたクレイク先生のお宅のすぐ向かいにあった。そこでその日は、クレイクご夫妻とともにお茶の時間をご一緒させていただくことになった。

 

(ドーバー先生のご自宅にて)

 先生のご高名は西洋古典学に多少とも触れた者なら誰もが知るところであり、こちらも襟を正す思いだったが、いざその人間味あふれる応対に接するや、緊張もどこかへいってしまう。その印象は、「英国紳士」もしくは「学究一筋」というより、むしろ「まっとうな人」と形容するのがいちばん近いかもしれない。お宅の壁という壁が本棚になっており、そこにアルファベット順に整然と並んだ書物の量に圧倒されもしたのだが、それ以上に、どんな話題にも純粋な好奇心を向ける自由闊達さが、いまも強く印象に残る。

 

書斎に案内されると、机の上に Brother 製のタイプライターがあった。「どうも調子が悪いのだが、これはメイド・イン・ジャパンだから、君たちなら直せるんじゃないか」。すると安西さんも例の調子で、「よし、まかせとけ」と応じる。無論、そう簡単に直せるはずもなく、悪戦苦闘。そのやり取りに、まるで喜劇の一幕に立ち会っているかのような可笑しさがこみ上げてきた。若い頃には比較言語学を目指したというエピソードに、先生の複眼的な思考の秘密を垣間見る思いがした。ご自身で人数分の紅茶を用意なさり、車いすの奥様をかいがいしくお世話なさる様子には、ある種の感動さえ覚えた。

 

 ( Brother 社製タイプライターの修理を試みる塾頭)

われわれが持参した手土産のひとつに、布製のトートバックがあった。先生はいたく気に入られた様子で、しきりに「これはテスコーにちょうどよい」とおっしゃる。わたしの頭の中では、碩学の発する「テスコー」がいやおうなくτέσχω と変換されてしまうのだが、残念ながらこちらの乏しいギリシア語の知識では、そのような単語に心当たりがない。でも、安西さんには通じているようで、クレイク先生と一緒に笑っている。わたしは会話に置いていかれ、自らの不勉強を悔いた。

 

帰り道、わたしは知ったふうを装って安西さんに訊いてみた。「 さっきの τέσχω っていう動詞、あれってどんな意味でしたっけ?」。すると安西さんは言った。「いや、スーパーの名前だよ、TESCO 。知らない?」。えっ、、わたしは拍子抜けすると同時に、今度は自分の世間知らずを恥じた。そして布袋を買い物でいっぱいにする老教授の姿を、ひとしきり想像した。

 

結局のところ、語学力とは、あるいは教養とは、その相手が現代人であれ古代人であれ、あるいは異国人であれ同国人であれ、他者の発した言葉をきちんと受けとり、まっとうに反応する能力をおいて他にないのかもしれない。アリストファネスの喜劇で交わされる冗談を理解するのに、大学で教わる不活性な知識が万能であるはずがない。ひたすら書物を相手にするばかりで戦場と呼べる修羅場とは縁のない人間に、トゥキュディデスの描く兵士たちの心境をどうやって推し量ることができるだろう。全方位的な、まっとうな想像力こそが、最後にはモノをいう。それはつまり、実人生においてさまざまな経験を積んできた人こそが、いちばんまっとうに古典を読める可能性を秘めている、ということではないか。今回、ドーバー先生の北アフリカ戦線でのエピソードを読み返し、あらためてそのことを思った。

 

堀尾 耕一